My Dialog

日々の生活の中で心に移りゆくよしなし事を、 そこはかとなく書きつくるマイダイアリー

無機的で工業的なモノが, 有機的で人間的な芸術品に化ける瞬間について

 

あるメディアアーティストの個展に行ってきた.
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久しくアート鑑賞には行ってなかったので, また, アートやデザインとはなにか, ということを考えはじめて以降初めての鑑賞だったので, 電車に乗る前からとても心が踊っていた. 

 

はじめに感想を上げると, 今回の個展を通して考えたことは, 

 

  1. サイエンスとアートの関係性. 化学物質や機械, ロボットといった, ある意味無機的なものが, 作品に溶け込み, 有機的なものへと変化し, アート化,するということについて. そのときのなんとも表現し難い美しさと心地よさについて.
  2. 物質とデジタルの差異について. デジタルは詰まるところ波, そして電子, 電磁波であり, 故に波でもあるが物質でもある. 物質は当然物質である. であるならば、デジタルも物質も, ともに身体性の伴う物質的なものと考えられるのに, なぜか僕たちはデジタルに身体性を感じきれない. そのデジタルとフィジカルの間にある, 抜け落ちた身体性とはなにか. それは今後テクノロジーによって創造できるのか.

ということだった. 

 

以下, 保存可能な記録として残すために, ここにいくつか心に残った作品と考えたことを挙げたいと思う.

 

 

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デジタルな映像という時計を,  プロジェクターというデジタルなものではなく, 非常に物質的な, アナログ時計とレンズ, そして投影のためのバックライトによって作り出しているメディア装置.

 

「デジタルな映像を物質的なもので生成する」というコンセプトを, カタチに持っていく姿勢に心躍った.

 

ただ, 装置自体はそこまで大それたものではなく, ありふれたもので作られていたので, 僕でも作れるのは?と思った. アート活動をしてみたい. 

 

 

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プラチナプリント. 鉄の感光性を利用して, 金属プラチナやパラジウムで現像した写真作品.

 

顔を近づけてよく見ると, 綱の繊維感, ねじれ感などのフィジカルさ, 実在する綱を想起させる リアリティさがあった. 

 

考えてみるとそのはずで, デジカメでよく何万画素とかPRされるけど, こちらのプラチナプリントは分子一つひとつが画素になっているわけで, そして分子とかはmol, すなわち10^23(10の23乗)スケールなわけで,故に画素数でいったら圧倒的にこのアナログなプラチナプリントが勝つなと. 


アナログがデジタルには出しきれないリアリティ感を出せるという下剋上感, とてもたまらない.

 

こうして, 感光性を利用した現像という, 非常に化学的なプロセスを経て, 無機的だった分子という存在が写真というアートになっている感, とても心地よく, 興奮した.

 

 

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3枚の写真. 光の差し方と, ぼけ感がすごく幻想的で美しかった.

 

解説で, 場所だけキャプションに書いて、その他の付随情報は敢えて伝えない, 写真から撮影者がどんな心情で, なにを思ってこの瞬間をこのフレームで撮影したか, 考えてみてほしいと言ってて, これは写真の楽しみ方のひとつだなと.思った 

 

2枚目の少女の写真は, 「特に深い意味はなく, ただその一瞬がたまらなく美しかった, だからシャッターを切った」と言っていて, なにかすごく腹落ちした.

 

詰まるところ, アートもデザインも, 深いコンセプトに縛られること無く, ただ「美しかった」「言語化できないけど, ただ綺麗だった」それだけでもいいじゃないかと. 

 

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音と質量. テープが装置によって読み取られ, 音を発していて. そして, 物理的なテープだから, すり減って, 少しずつ音が鈍くなり, 最後は音が消える. 

 

この生きている感, 工業製品という無機質なものなのに寿命があって, 命を削っている感がたまらない. 

 

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コロイド膜をメディア化した装置. 意図は理解しきれていない. けどすごく美しかった. 

 



こちらが, 今回1番印象に残ったもの. デンソーのロボットが写真フィルムをつかもうと, 強化学習している様子. そしてフィルムを手にとり, 投影装置に移し, 絵が写る. 

 

ロボット. 強化学習. 投影装置. すべて, 非常に無機的なものなのに, なぜか生きている感, かわいらしさ, そしてアート性を感じる. 相容れないはずの両者が混ざり合って, シナジーを生んでいる感. 油と水が混ざり合っている感. なんともいえない, はじめての体験だった. 

 

作者は, ロボットが"機械的"という文脈を超えて人間の世界にナチュラルに溶け込む, こんな未来をみているのだなと思った. 

 

その他、写真だけ.

 

渋谷の風景とレンズ

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ブラウン管テレビ
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球というメディア
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アナログなプロジェクター
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以上, 最近は化学科の学生という文脈で, 家でも研究室でもサイエンスの視点から, 構造的に物事を認識し思考することがとても多かったが, 展覧会に来てアートの文脈で作品を見ているときにはまた違った認知と内省ができ, ある意味メディテーション的な側面もあり, かけがえのない時間だなと改めて感じた. 

 

今後も自分の継続的に, 自分の中のアートやデザインといった文脈も追っていきたい. 広げていきたい. 

 

 

p.s.

落合氏が自身の人生観を記述しているボードが載せられていた.

 

曰く, 自分は起業家, 研究者, 教育者..というフレームの中ではそのフレームに最適化しているけど, フレームを取っ払った"一個人"の自分としては, 社会をより善くしたいわけでも, リサーチがしたいわけでも, 下の世代を育てたいわけでもない. ということを述べていた.

 

いつもフレームの中の落合氏を見て, フレームの中の落合氏の言動に影響を受けていたため, 一個人としてはそういった人生観を持っていたのか, 彼が自分の中のどの人格で今話しているか, それをきちんと分別して言動を取り入れる必要があるな, そんなことを思った. 

 

また, 自分も職業や肩書きを全て取っ払って, 裸の一個人として考えたときに, ニヒリズムに満ちた中でどんな生き方をしたいか, 何をして命を削りたいか, 改めて考えるきっかけにもなった.

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